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法被の歴史


9月末、今年もカマラ主催によるケレタロ夏祭りがここFUJITAYAにて開催されました。

参加された方もいらっしゃるのではないでしょうか。


さて、お祭りと言えば浴衣の他に、法被(はっぴ)もまた欠かせないアイテムですが

法被の歴史はご存知でしょうか。


今回は法被の歴史をご紹介したいと思います。



法被は、江戸時代の武士が、自分の家の家紋を羽織に染めて着たのがはじまりとされています。当時は法被は身分の高い人のみが着るものであり、庶民は着用ができませんでした。

しかし、庶民の間では法被に似た半纏(はんてん)と呼ばれるものが着用されるようになりました。違いを出すため、法被が襟を折り曲げて着用されるのに対し、半纏は襟を折らずに着用されていました。


江戸時代末期には、法被と半纏の区別がほとんどなくなり、庶民の間では、職人や商人、町火消が仕事着として着用するようになりました。現代も法被、半纏に違いはなく、同じものを指す言葉として使われています。


現代では法被(以降まとめて法被と呼びます)は、お祭りをはじめ、運動会やスポーツ観戦、イベント、セールなど、様々な場面で着用されています。デザインは、お祭りで着用されるものは「祭」と書かれたものが主流ですが場面によりチームの名前や店の名前が入れられたりと、様々なデザインの法被が存在します。



ふじたや では、日本、メキシコの暦に合わせてスタッフが浴衣や法被を着用して、業務させていただく場合がございます。お見かけした際には、ぜひお声をお掛けいただけると幸いです。

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